[情報処理] Webページを「さらす」こと、そしてモヒカン族について

T部長に会うと「まきさんとこ『さらされて』大変ですね」などと仰られるのだが、Web上で「さらす」というのは何の意味があるの?というのが正直な感覚である。アクセス保護がされていないWebサイトにコンテンツを公開した時点で、潜在的には全世界の不特定多数の利用者からの参照を受け入れているのだ。Publicアクセス可能なWebサイトに公開されている情報は、公開しようという意思を持って公開している情報であるわけで、ミームの伝播という観点からは参照される機会が増えることは良いことだ。
ただ一方、情報構造体としてのインターネットにとっては、信頼性の低いリンク(コンテキストと関連性の薄いリンク)は好ましくないというのが私の技術屋としての美意識であり、倫理感である。従って、リンクスパムを受けている掲示板の皆さんにはご同情申し上げるが、それを私の責任にされても困る:P
この辺の感覚的ギャップは、「Webページの私物感」や「モヒカン族*1に関係しているのだろう。
ぼくのおうちへようこそ〜公開物はどこまでコントロールできるのか
私もかなりモヒカン族の血が濃いようだ。